〜トキノアメ〜

ISM 作


<登場人物>
弥生 司…この物語の主人公で弥生家の養子、魔法使いである。
弥生 巌龍…司を施設から養子に迎えた男。
雪野 時雨…司のクラスに転校してきた少女、何故かルシファーと呼ばれる組織に狙われている。
宗堂 明…司の友人、常にハイテンション。
飛燕…魔法使い、司に魔法について教える。今は時雨のボディーガード。
ラファエル…魔導組織ルシファーのメンバー、炎系の魔法を扱う。

<第三話 荒れ狂う風>

 1

 ラファエルの襲撃事件から五日が経った。
 別段変わったこともなく、いつもと同じような毎日が続いている。

 雪野は前よりも明るくなり、俺と気軽に話せるようになった。
 飛燕さんは相も変わらずあの調子だが、一応真面目に雪野の護衛をしているようだ。

 父上は仕事が忙しいらしく、五日前からずっと帰っていなかった。
 父上の仕事は昔から忙しく、頻繁に家を留守にしたが今回ほど長く家を空けるなんてことは初めてだ。
 しかし、いつ帰ってくるのかということは使用人にも俺にも知らされていなかった。

 さて、今日の俺は珍しく雪野と二人で下校している。
 お互いに誘い合ったわけではないが、通学路がバス停までほとんど同じなのでたまたま出会った、というのが適切かも知れない。
 ラファエルの事件以来、あまりあの道は通りたくはなかった。
 別に近道というわけでもないし、単に静かだからと言う理由だけであの道を通っていた。
 だが二回も事件(一回目は雪野が男二人にからまれたとき)があるようではあの道を通るわけにはいかないだろう。
 そんなわけで俺たち二人は他の道を通って下校している。

 バス停が見えてきた、大勢の人がバスを待っているのをみると、バスがもうすぐ来るということだろう。
「それじゃ、また明日」
「はい、さようなら弥生さん」
 バイバイと手を振って帰っていく雪野、いつの間にか俺の呼び名が「弥生くん」から「弥生さん」に変わっていることに、その時気付いた。

 一寸も待たずにバスが来た、バスの座席の一番後ろが空いていたのでそこに座ることにした。
 俺が乗ってから三つ目のバス停で人が大勢乗ってきた。
 駅前のバス停だからか、ここではいつも乗り降りが激しい、その乗ってくる人たちの中に特徴的な赤いマントを着た人物が混じっていることに気がついた。
「ラファエル……?」
 いや、違った、よく見るとマントは同じでも人が違う。
 まずラファエルはあんなに太っていなかった。
 そう――その赤マントの男はこれでもかというぐらい太っていた。
「あれじゃあ、赤いマントを着ていなくても目に付くわな」
 よく見ると俺以外のバスに乗っている人もその男をじろじろと見ていたりする。
 その男は特に気にした様子もなく、二つ目のバス停で下りていった。

 俺はそこからもう四つ先のバス停で下りると家に向かって歩き出した。
「今日はこっちの道から帰るか」
 いつもとは違って公園を通る道で帰ることにした、距離にほとんど差はないのだが普段はあまりこっちの道を通らない、理由は俺が通っていた中学校を通るか らだ。

 角を曲がると見えてきた、全然楽しくなかった俺の中学校。
 父上に勧められるがまま受験をしてこの私立の中学校に入ったがその三年間はほとんど無意味なものであった。
 クラスメイトには煙たがられ、俺は皆に無視された。
 友人は孤独だけ。
 確かに俺は他の人間とは違った、普通の人間は魔法なんて使えるわけがない。
 歴史を見てもわかる、諸国でも魔女狩りだなんだで常ならざる者は排除され続けてきた。
 飛燕さんが言っていた、社会から追放されるという意味が今わかった。
 決して大袈裟なことではなかった、あれは真実だったんだ…

 つい、つまらないことを考えてしまった。
 今の俺は独りじゃない、つまらない過去は忘れよう、もしもまた同じ事があるようならばその時に考えればいい。

 中学校の横を通り過ぎて、夕暮れの道を歩いて帰っていく。
 だが公園の横を通る際に、俺は信じられない光景を見た。
 公園では飛燕さんとラファエルが対峙していたのだ。

「今日こそこの前の雪辱を晴らさせてもらう、覚悟はいいな飛燕」
「望む所よ、逆に返り討ちにしてあげるわ」
 二人はすでに戦闘態勢に入っている、俺はその光景を公園の外から眺めた。
「行くぞ、飛燕」
 ラファエルが腕を振り上げる、すると土中からいくつもの炎の塊が現れた。
…っ!」
「ふふふ…
これぞ新しく身につけた魔法だ」
「なるほど、ちょっとは強くなったようね」
「行け、地獄炎」
 すべての炎が一斉に飛燕さんを襲った。
 一つ目の炎を相殺し、二つ目は向きを変え三つ目の炎と衝突させ相殺させた。
 四つ目の炎、五つ目の炎は飛燕さんに当たることなく地面にぶつかった。
「あらあら、たいしたことないんじゃないの?」
「それはどうかな」
 さっき外れた炎は飛燕さんの足下までの地面を溶かしそのまま固めてしまった。
「しまった
…!」
「油断したな飛燕、これが溶岩流だ、これでお前はもう身動きがとれまい」
「足が動かなくても魔法は使えるわ、炎の稲妻!」
 飛燕さんは指先からいくつも光の矢を飛ばした。
「そんなもの
…」
 ラファエルの足元の地面が突然隆起し、炎の稲妻をすべて受け止めた。
「大地の盾
…!」
「そう、私はついに地属性の魔法まで扱えるようになったのだ」
 なんだかわからないが飛燕さんが不利なことは確かだ、しかしここで俺が出ていっても足手まといになるだけだ。どうする…

「そして…
これが炎属性と地属性の複合魔法」
 ラファエルは腕を大きく上に掲げると、
「火炎岩!」
 魔法を詠唱した。
 炎の塊のような隕石がいくつも飛燕さん目がけて降り注いできた。
「炎の稲妻!」
 飛燕さんは隕石目がけて炎の稲妻を乱射するが全然効果はない。
「ふっ、地属性の魔法に雷属性の魔法など効かぬわ」
「危ない――!」
 気がついたら俺は魔法を放っていた。
 風が渦を作って隕石に当たったかと思った瞬間隕石は粉々に砕け散った。
「なっ
…!」
驚くラファエルと飛燕さん、ラファエルは恐ろしい形相でこちらをにらむ。
「貴様っ
…あのときの小僧…! そうか…貴様も魔法使いだったとはな…
 俺は次の瞬間、とんでもないことを口走っていた。
「ラファエル、俺が相手だ」

 2

 ラファエルは俺目がけて業火を唱えた。
「司くん! 逃げて!」
 飛燕さんが俺に叫んだ、だが、俺は負ける気がしない。
「旋風!」
 俺の掌の上に風が巻き起こり、それを相手に向かって放つ。
 風は渦を作りドリルのような形状となって炎を散らし、さらにラファエルを襲った。
「ぐはぁぁぁっ
…!」
後方に吹き飛ばされるラファエル、すごい音がして後ろにあった遊具に激突する。
「貴様…
!」
 冷静さを失ってきたラファエルは次から次ぎへと火の玉を乱射する。
 しかし、俺には効かない。
 俺の周りに気流が巻き起こり鎧となって炎から身を守っているからだ。
「旋風!」
 再び魔法を唱える、それもまたラファエルに命中する。
 初めから魔法の使い方を知っていたかのように、俺は魔法を唱えることができる。
 現に自分が自分ではないかのような錯覚に襲われているぐらいだ。
「こんな小僧にっ
…!」
 さきほどから何発もの旋風が命中してもなおも立ち上がって攻撃をしてくるラファエル。
 今、彼を戦わせようとするものは恐らくプライドだけだ。
 けれども彼の放つ炎の魔法は俺にはさっきからまったく効いていない、
 炎は当たる寸前で散ってしまう。
 再び俺は魔法を唱える。
「旋風!」
「土の盾!」
 そのシールドも簡単に砕け散る。
「旋風!」
 さらに追撃、ラファエルはもう回避しようとも相殺しようとも防御しようともしない。
 行動するだけ無駄だということをわかりきっているからだ。
 旋風の魔法がラファエルの体を貫いた。

「こぞ
…う…」

 バタリと地面に倒れるラファエル。
「司くん! 大丈夫だった?」
 飛燕さんが走ってくる、溶岩流からも脱出できたようだ。
「大丈夫だよ
…」
 そう言った途端、急にどっと疲労感に襲われた。
「いきなり無理しすぎたからね、それにしてもすごいじゃない、いつの間に修行したの?」
「わからないよ、体が自然に反応しただけなんだ」
「ふぅん
…、それもすごいわね」
「うん…


 ズルズル
…。

 謎の音に気付いて、ふと音の方向を見てみる。
 そこには、血を流しながら這ってきているラファエルの姿があった。
「小僧
…、このままでは終わらぬぞ…!」
 言うとラファエルの手が炎に包まれた。
 それはまったくコントロールのできていない、ただ自分の手が燃えているだけだった。
 ラファエルは最後の力で立ち上がるとその燃えた手で殴りかかってきた。

「司くん!」

 飛燕さんが止めようとするがそれも間に合わない。
 その燃えた手が俺に触れようとした瞬間…


 スパァッ!

 何かの切れる音がした。
 ラファエルの手が俺を守っている気流によって切断されたのだった。

「バカな
…こんなことが…」

 そのまま力つき倒れるラファエル。
 その後彼は二度と起きあがることはなかった。

 3

「ふぅ
…」
 風の“鎧”を解く。
「終わったな
…」
 横で倒れているラファエルを見て呟く。
「司くん、やったね」
 飛燕さんが笑って言う。
「ああ、これで雪野さんも安心できるだろう」
「えっ、そんなことないと思うよ」
「はい?」
「だってこいつは数多くの魔法使いがいるルシファーの中の一人だもの」
「つまり
…」
「ええ、まだまだ気は抜けないわ」
「ひえっ」
 冗談じゃない、ラファエルみたいなヤツが他にも三十人も五十人もいたらシャレにならない。
「でももう大丈夫ね、私一人じゃなくて司くんも戦力になるもん!」
「あ?」
 まさか
…飛燕さん、俺を戦わせる気か…?
「冗談だろ?」
「ううん、冗談じゃないよ、仲間は多い方が良いもの」
「――」

 どうしよう、今の戦いは楽勝だったが今度はそうもいかないかも知れない、下手をしたら死ぬような怪我をしてしまうかも知れない。
「嫌だよ、俺は普通に暮らしたいんだ」
「冷たいのね、司くん。女の子が手伝ってって言っているんだからちゃんと手伝ってよ」
「そ…
それは――」
 これは卑怯だ、こう言われたら従うしかない。
「――わかったよ、手伝いますよ、戦いますよ」
「わあ、ありがとう!」
 わあじゃないよ
…まったく…。
「じゃあ、私は時雨ちゃんが家に帰ってから護衛の仕事を始めるから、司くんはそれまで護衛してあげてね。」
「それまでって?」
「時雨ちゃんが家につくまでよ、帰り道襲われたら大変じゃない」
「――!」
 つまりそれは雪野を家までエスコートしてやると言うことだ、しかし嫌でも俺に決定権はない。素直に聞くしかないのだ。
「わかったよ、でも俺に頼りすぎない方が良いぞ? 俺は今日が初戦だったんだからな」
「大丈夫だよ! 初戦であんな強いんだから!」
 飛燕さんはとても幸せそうに笑っている。
「それじゃあ、私は帰るね」
「ちょっと待て、この死体はどうするんだ?」
 横にはラファエルの死体、放置しておくと後々とんでもないことになるのは目に見えている。
「――ってあれ?」
 あるはずの死体が見つからない。
 まさか生きていたはずもないだろうし、一体どこへ消えたんだろう?
「飛燕さん、ラファエルは!?」
「消えたの、ルシファーに入った者の運命よ」
「えっ? それどういうこと?」
「ルシファーに一回入った者は死んだときに自然に消滅するように呪いがかけられているの」
「なんでそんなことが…

「魔法使いの中には人の記憶の中を見ることができる能力を持つ者もいるわ、もしそういう人に倒されたとき記憶を見られて秘密が外部に漏れるのを防ぐため よ」
「なるほど
…、ところで飛燕さん?」
「何?」
「どうしてそんなにルシファーのこと知っているの?」
「それは――魔法使いの常識よ
…、さあ今度こそ帰るね。」
「ああ…

 ボン! と一瞬にして消える飛燕さん。

 日が落ちて暗くなり始めたので俺もさっさと家に帰ることにする。

 家では父上が久しぶりに帰っていた。
「ただいま父上」
「司か
…」
 父上は機嫌が悪い、声でそれが分かる。
「いつまでそこに立っている、さっさと部屋に行け、目障りだ」
「はい
…」
 二回にある俺の部屋へ行く途中、使用人が話しかけてきた。
「司坊ちゃん、どうかお気を悪くしないように巌龍様は仕事でお疲れなのです」
「それはわかっているよ、仕事の後はいつもああだもの」
「司坊ちゃんは巌龍様のことをよくわかっておられるのですね」
「それはそうだよ、血はつながっていないけど一応父親だし、長いつきあいだから」
「そうですか
…」
「それから…
そろそろ司坊ちゃんはやめてくれない? 俺はもう高校生なんだけど…
「あっ…
失礼しました…ではなんとお呼びすれば?」
「司でいいよ」
「はい、では司様」
「…


 自室に戻って私服に着替える。
 夕食までの時間は風呂に入りゆっくりと読書をした。
 夕食の時、父上はやはり機嫌が悪く、食事が不味いだの俺の目つきが気になるだの不平不満をさんざん言った後さっさと部屋に戻ってしまった。
 食堂に一人残された俺は厨房にいる使用人を呼んで一緒に夕食をとった。
 普段、父上は使用人が我が家の者と一緒に食事をするというのを嫌っているので、こういう機会でないとなかなか使用人たちと一緒に食べられない。
「司様はお優しいのですね」
 なんて事も言われた。

 食事後は部屋に戻っていつも通り瞑想と勉強をして眠りにつく。
 ――つもりだったのだが外が騒がしい。
 これでは眠れないので窓から外の様子をうかがってみる。

 数人の男の声が聞こえる。

「この近くだな…

「ああ、まさかあの方が倒されるとは
…」
「一体どこに潜んでいるのか…

「明日の朝、また探すことにしよう」

 ……とても自分と関係ないとは思えない会話、一気に目が覚めた。
 どこから聞こえてくるのかはわからないが、二人以上いるのは明らかである。
 あの方というのは多分ラファエルのことだろう、すると会話の男たちはルシファーの一員である可能性が高い。
 ルシファーの一員がこの付近にまだいるとしたら危険だ、
 かといって今焦っていてもしょうがない、ここはゆっくり休むことにしよう。

 しかしなかなか眠れない。
 ルシファーの間でラファエルが殺された事がもうすでに知れ渡っているとしたら、さらに殺した者が俺だと気付かれたら、俺は確実に狙われることになる。

「ええい、もう何も考えるのはよそう! その時はその時だ!」

 開き直って目をつぶる俺。
 こうしているだけでも体は休まるというし…


 4

 俺は眠っていた。
 朝の日差しが目に入ってそれがわかった。

 時計で時間を確認すると、いつもよりも四十分早い時間に起きていた。
「なんだ、もう少し眠れるんだ」
 でも眠気も覚めてすっきりとした気持ちなので、そのまま起きることにした。
 着替えて食堂に向かった。
「おや、司様おはようございます。今日はお早いのですね」
「うん、なんかとても目覚めが良くてね」
「そうですか、それは良いですね。もう朝食を召し上がりますか?」
「うん、お願い」
「はい、かしこまりました」
 さっさとテーブルの上に朝食を並べてくれる使用人。
 今朝のメニューはご飯に納豆に鮭に温泉卵に漬け物にお吸い物。
「やっぱり朝は和食に限るよね、とてもおいしいよ」
「ありがとうございます…
!」

 すると父上が食堂に入ってきた。
「おはようございます父上」
「おはようございます巌龍様」
…」
 一晩経っても相変わらず機嫌が悪そうだ。

 父上は黙って食堂全体を見回すと使用人の一人に言った。
「何だ?」
「はっ?」
「これは何だ」
「これ
…とは?」
「このテーブルの上に乗っているものは何だと聞いているのだ」
「朝食にございますが…


 ガシャァァァン!!!

 テーブルクロスが宙を舞い、上に乗っていた茶碗や皿が床に落ちて割れた。

「ふざけるな!こんなものが朝食になるか!」
 言ってバシッと使用人を殴る父上。

 そうだ、父上は異様なまでの洋食好きなのだ、よって朝食はパン以外認めていない。
 使用人も今朝は久しぶりに父上が帰ってきたのでうっかりしていたのだろう。

「申し訳ございません
…! すぐに作り直します!」
「もういい!」
 怒鳴り散らして食堂を後にする父上、残ったのは木のテーブルと俺と一人の使用人と床に落ちた食べ物と食器類である、テーブルクロスがふわふわと床の上に 落ちた。

 しばらくした後、使用人は俺に片づけをしながら話しかけてきた。
「司様、申し訳ございません、せっかくの御食事を台無しにしてしまい…

「謝ることないよ、父上が悪いんだ。食事ぐらい何だっていいだろうに…

「いいえ、巌龍様に和食を出すなど私はいったい何ということをしてしまったのでしょうか
…」
「そんなに気にしなくてもいいよ、俺は結構好きだしね、和食」
「ああ司様、お気遣いありがとうございます」
「じゃあそろそろ俺は行くよ、見送りはいいから」
「はい、いってらっしゃいませ」

 いつもより三十分早く家を出た。
 道には誰も通っていない、一人である孤独感とある意味での優越感に浸りながら歩いていく。そしてバス停にむかうその途中で声をかけられた。

「司くん? 司くんじゃない?」
「えっ?」
 振り向くと、そこには黒い髪、ちょっと緑がかった瞳の色をして、知らない学生服を着ている少女がいた。
「久しぶりだね、元気にしていた?」
「あ…
っと…
 この子の名前は霧崎葵(きりさき あおい)、小学校、中学校と同じだった子だ。
「こっちこそ久しぶりだね、葵さん」
「うん! 司くんは今から学校?」
「そりゃそうだよ、今日は平日だし」
「いつもこの道を通っているの?」
「そうだけど?」
「私もいつもこの道を通っているんだけどね、どうして今まで会わなかったんだろう?」
「今日はたまたま朝早く起きたからね、いつもよりも早いんだよ」
「ふーん、そうなんだ――で学校はどうやって行くの?」
「そこの停留所からバスに乗って行くんだけど?」
「なんだ、途中まで同じじゃない! 一緒に行こっ!」

 突然の急展開に驚いている俺とは違い、俺を引っ張っていく彼女。

 葵さんは小学生の頃、俺と遠足で同じ班になり、それ以来ずっと腐れ縁のような関係で繋がっている。
 独りだった俺にも気軽に話しかけてきてくれたし、ひょっとしたら小、中学校時代まともに話せたのは彼女だけかも知れない。
 途中クラス替えなどで離れたことは何度もあったがたまに俺のクラスまで遊びに来たほどだ。

 お互いに学校の話や世間話をしていると葵さんが下りるバス停に着いた。
「じゃあまたね司くん」
「ああ、またな」
 バスから降りていく葵さん、毎日の朝がこんなに楽しくなるのならこのために朝早く起きるのも悪くない。

 学校について校門をくぐると、雪野と出会った。
「おはよう、雪野さん」
「おはようございます弥生さん」
 笑顔で返事をする雪野、明るくなったなぁ。
「弥生さんは、数学の宿題やってきましたか…
?」
「え? そんなのあったっけ?」
「ありましたよ、今日提出です」
 いかんすっかり忘れていた。
「それは大変だ、さっさとやらなきゃ!」

 教室に急いで入ると机に数学のノートと宿題の問題があるページを広げて早速解き出す。
「ヤベェ、本気で量が多いって…
!」
 範囲は20Pから28P、1ページに問題は30問近くある。
二次方程式を解けって…
面倒くさいなこれ!
 単純な計算問題がずらずらと並んでいる、これならば難しい証明問題が少しだけある方がまだマシだ。
「くわぁ〜! 終わるかな、これ?」
 ちなみに数学の時間は五時間目、多少時間があるのが救いだ。
 ガリガリガリガリ…
…。
 シャーペンの音が教室に響き渡る。

「あの
…弥生さん?」
「…

 雪野の声など俺の耳には入っていない。
「あの
…」
…」
「私の答えで良ければ…
写しますか…?」

 ピタ。

 おお、イッツァミラクルアイディア、答えを写すという時点で人生終わっているような気もするが、ことわざにもあるように背に腹は代えられぬ。

「本当!? お願いしますよ! 是非!」
「嘘です」

 ドガァァァァッ!!!

 漫画みたいに椅子から転げ落ちる俺。

「嘘って
…雪野さんヒドイですよ。あの…冗談です…よね?」
「はい、冗談です。弥生さんはおもしろい人ですね」
 くすくすと笑う雪野、なんかここにきて性格が変わった気もするがあえてそこは気にしないでおこう。

 雪野のノートは完璧だった、字がとても丁寧で見やすく答えだけでなく計算過程までしっかりと書いてある。
 まあ俺は答えだけ写せばいいんだけどね〜。

 そして五時間目の始め――

「終わったよ、ありがとう雪野さん」
「はい、お役に立てて嬉しいです」
 これでなんとか数学の成績を下げずに済みそうだ。
「今日は前にも言ってある通り、宿題の範囲からテストをするからな」
 そう言ってテスト用紙を配り始める数学の教師。
 聞いてないよ
…、そんなの…。

 結局、俺は100点満点中28点という高校生やめます的な点数をとったのであった。

 5

 学校の帰り、俺は雪野と歩いていた。
 飛燕さんに言われたとおり、ちゃんと家までおくってあげなければならない。
 こんな町中でいきなり襲われるようなこともないと思うけどね。
 なるべく人通りの多い商店街を歩いていく。

「そういえば、今日の数学のテストどうでした?」
「ん? 俺は全然ダメ、雪野さんは?」
「私もダメでした」
「はぁ、あんなに勉強しているのにね、何点だったの?」
「98点です、あと一問合っていれば満点だったのですが
…」

 ドガァァァァッ!!!!

 朝と同じようにずっこける俺。
 なんだか今日は雪野に調子を狂わされっぱなしだ、しかもこれが天然だから恐ろしい。

「大丈夫ですか?」
「うん
…まあ一応」
 気を遣うあたり、本当に悪気はないようだ。

「――それにしても、最近暑くなってきたよなぁ
…空もまだあんなに高いし。そろそろ夏だよね」
「私、夏は苦手です」
「へぇ、やっぱり冬生まれだから?」
「――!」
 雪野は非常に驚いている。
「なんで私が冬生まれだとわかったんですか…
?」
「そりゃあさ、時雨って冬の季語だろ? だから冬生まれかなぁって単に思っただけ。違っていた?」
「いいえ、私は一月生まれです、一瞬弥生さんが超能力者かと思ってしまいました」
「超能力者ねぇ
…」
「でも、夏もいいことがありますよね」
「例えば?」
「スイカがおいしい季節です♪」
 凄く嬉しそうに話す雪野。
「あとはですね――修学旅行もあるじゃないですか」
「修学旅行
…? ああ、七月の終わりか」
「山に行くんですよね? 海だったら良かったのに
…」
「一年生は山に行くんだ、海は二年生だけだよ、三年生になったら卒業旅行で海外に行けるけどね」
「いいですね――海外…

「山もいいと思うよ? 涼しいし、海に比べて日差しが強くない」
「そうですね」

 そんな他愛もない話をしながら商店街を抜け、バス通りを歩いていく。

「ところで雪野さんの家はどこなの?」
「そこの
…角を曲がってまっすぐ行って三件目です」
「へぇ、学校から近いところにあるんだね、学校に近いからここに引っ越してきたの?」
「いいえ、安かったし目立たないからです
…」
 途端空気が凍り付く、そうだ雪野は好きで転校してきたわけじゃない。
 ルシファーに追われて逃げるためにここに転校してきたんだ。
 そんなことを忘れて俺はなんて事を言っているんだ…
ああばかばか!
「ごめん…

「え? なんで弥生さんが謝るのですか?」
「なんか聞いてはいけないことを聞いてしまったみたいだし」
「気にする事じゃありませんよ、私ここ気に入ってますし、ここなら守ってくださる人もいますし
…それではまた明日、ありがとうございました」
 タタタと走って家へ帰っていく雪野。

 守ってくださる人ねぇ…
、飛燕さんのことか?
 鼻歌を歌いながらバス停に向かう俺。

 空でカラスがかぁかぁ鳴いている。
 それは――六月最後の夕暮れだった…


 つづく

NEXT
第四話・魔の手