〜トキノアメ〜
ISM 作
<エピローグ>
1
気持ちのいい風を感じて、目を覚ました。
仰向けになって、空を見上げると雲一つなく、さんさんと夏の太陽が照りつける。
背中に湿ったような不快感がして、起きあがった。
「あ、おはよう」
葵さんが笑顔で声をかけてきた。
「ん……?」
寝ぼけていて完全に頭が働かないのでとりあえず、
「おはよう」
と返事をした。
次第に頭の感覚が戻ってきた。
日の当たる森の真ん中で俺は寝ていた。
四方は木に囲まれ小鳥のさえずりが聞こえる。
「ここは……?」
「よぉ、目が覚めたか」
陽炎がのんびりと歩いてきて、切り株に腰掛けた。
「陽炎……! 傷は癒えたのか?」
「ああ、葵のおかげですっかり良くなった、良くなっていなかったら俺と葵は死んでいただろうがな」
「……?」
死んでいた、という言葉にどきりとした。
さっきまで俺はルシフェルとの死闘を繰り広げていた。
そのときの感覚が戻ってくる。
「……陽炎、一体何がどうなのか説明してくれ」
「説明もなにも……こっちが聞きたいぐらいだ。突然、大きな地震があったかと思うと足場が崩れ始めた。俺は葵と共に外へと脱出したが、空は黒く、稲妻が落
ち、あたりは地獄のようだった」
なっ、と陽炎は葵さんの方に顔を向けた。
葵さんも、怖かったぁ……とのんきな口調で話す。
「そうしたらな、突然空が輝いたかと思うと光る雨が降り注ぎ、地震も雷もおさまった。一体どういうことかわかるか?」
俺は、ルシフェルとの戦いについて説明した。
「幻の古代魔法……刻の雨……か」
「時雨がその魔法を詠唱したかと思うと……一瞬にして部屋が光に包まれ、そして俺の意識もなくなったんだ。……で気がつけばここにいるってワケ」
「なるほどな……、幻の古代魔法がどんな力を持っているかは知らないが、その力が善と悪、両方のことに使われたんだな」
「……で、結局ここはどこなんだ?」
「山奥にあるルシファーのアジトの近くの森さ、一応外国ではない。東洋の……挙げ句山奥のひっそりとしたところにあるから完全に死角だった」
陽炎はうーんと悔しがる。
そういえば、まだ何か大切なことを忘れている。
「そうだ……! 時雨は!?」
その一言に、陽炎は顔を曇らせた。
「司……ついてこい」
「なんだよ……」
「いいから」
俺は立ち上がり、陽炎のあとをついていった。
葵さんもその後ろについて来る。
森の中を十分ぐらい歩き、周りの木で囲まれた広い円形の草原に出た。
「ここにさっきまでルシファーのアジトがあった」
「えっ……?」
広い草原には、瓦礫の一つも落ちていなく、ただ芝生が一面に茂っていた。
「嘘だ……、なんで?」
「俺にもわからない、ただ、光が消えると共にここには何もなくなり、中心でお前がただ一人倒れていた」
「他には……?」
「……なにも」
「じゃあ……時雨は?」
「悪いが……わからない」
「時雨……」
――ありがとう。
最後に聞いた時雨の言葉が頭の中に蘇る。
信じたくない。
「司……」
「嘘だ……」
「帰ろう、まだ決まったわけではない」
「ああ……」
元気のない返事をする。
「行くぞ、俺につかまれ」
「あ……ちょっと待ってくれ陽炎」
「ん……?」
俺は森の中に行くと、手頃な木を拾ってきて草原の真ん中に突き刺した。
「司……? そんな縁起でもないものを……」
「これは飛燕さんの分だ……一応……ね」
「……そうか」
俺は手を合わせて、目をつぶった。
横で陽炎も葵さんも同じ動作をする。
「先に逝きやがって……勝手なヤツだ」
「まったく!」
陽炎と葵さん――飛燕さんと縁があるこの二人は、少し寂しそうに言った。
2
町に戻ってきた。
町は活気に溢れ、魔法使いと常人が戦っていたという痕跡はどこにもない。
それは間違いなく平和そのものだった。
屋敷に戻ると、使用人が暖かい笑顔で出迎えてくれた。
「おかえりなさいませ、司様」
「あ……」
「浮かない顔してどうしたんです? さっ、夕ご飯の準備しますのでそれまで部屋でお休み下さい」
ささ、と使用人が俺を中へと案内する。
その途中、俺は使用人の背中に話しかけた。
「あのさ、父上のことだけど……」
「……」
使用人は黙っている。
「その……話すと長くなるんだけどさ……しばらく……いやずっと帰ってこないと思うよ」
「……」
「あ……あの……変な意味じゃなくて……」
「存じております」
「……? 存じているって……?」
「先ほどテレビで報道されておりました、仕事先の海外で……事故により亡くなったそうです」
「……」
「遺言により弥生家の当主の座は、司様に継ぐことになります」
「俺……が?」
「はい……もう少し早く言うべきだったのでしょうが……巌龍様の後継者は司様であると数年前から決まっていたことなのです……申し訳ありません」
「いや……いいんだ。じゃあこれからは俺が当主……なのか」
「……はい」
部屋に戻ってベッドに倒れ込んだ。
空はもう暗くなっている。
「はぁ……」
ため息が出た。
今日あったことを振り返る、それは夢ならば夢であると片づけられそうなこと。
町は何もなかったかのように平和を取り戻し、人々が普通に生活している。
あれだけの激しい戦いがあったにも関わらず、俺の体には傷一つない。
テレビをつけるが、当然魔女狩りがどうのこうのということは全く報道されていない。
代わりに、弥生コーポレーション社長弥生巌龍が死亡したというニュースが少しだけ報道された。
「本当に夢だったのかな……?」
考えてもよくわからない、しばらくすると下から使用人の呼ぶ声がしたので下りていった。
その日の夕食は和食だった。
3
「よぉーっ! 久しぶりだな! 元気だったか司!」
翌日、学校に行くと、後ろから明が元気な声で挨拶してきた。
「元気……じゃないな。少なくともお前ほどは」
「元気出せよーっ! いやーっ葵ちゃんも帰ってきたし、今日は最高の日だ! 時雨ちゃんがまだ学校に来ていないのが気がかりだがな」
「時雨……来ていないのか……」
「ああ、まあそのうちひょっこり現れるだろうさ! なにせ日曜日に学校に登校してくるような人だし! 今日が登校日だって事忘れているんだろ!」
「そりゃあ初耳だ、アイツ天然だからな……。待てよ? なんでお前は時雨が日曜に登校したことを知っているんだ?」
「何を隠そう、俺も被害者だ」
その日、結局時雨は学校に来なかった。
誰とも話す気もなく、一人でとぼとぼと帰路についた。
その商店街で、いきなり声をかけられた。
「弥生さん!」
「あ……、時雨のお母さん……」
「ありがとうね、時雨を助けてくれて……」
「……時雨は……」
「わかっているわ、刻の雨を使ったんでしょ?」
「……あの魔法は一体?」
「あの魔法は、望んだことをかなえる力を持っている。使用者は時をさかのぼり歴史をねじ曲げることが出来るの」
「そんな魔法が……」
「でも代償はあるわ。過去の世界にいるだけでどんどん魔力は消耗していく、さらに時雨が歴史をどのように変えるのかはわからないけれど、欲望が大きければ
それだけ過去にいる時間は増してくる。すると、戻ってくる力が失われて二度と戻らないこともあり得るの」
「……ということは」
「時雨がどんなことを望んでいるのかはわからないけれど、当分戻ってこられないと思う……、大きく歴史を動かせば動かすほど、戻ってくることが難しくなる
の」
「……」
「だから普通は使わない。今まで数千年受け継がれてきたけれど実際に使われたのは指で数えられるぐらい」
「時雨は……なにを望んだんだろう……?」
「……それはわからないわ……」
「俺が……俺にもう少し力があれば……こんな事にはならなかったのに」
「そんなことない、弥生くんは十分時雨のために頑張ってくれた。自分を責めちゃダメよ」
「俺は何もしていない……」
「……時雨に力を分けてあげたでしょ?」
「あ……」
最終決戦の時に、瀕死の時雨を蘇生させた。
あれのことを言っているのだろうか?
「お母さん……一つ聞きたいんですけど」
「うん、わかっている。ミカエルが家を襲ったときに、私に残されていた全ての力を弥生くんに渡したの、それを弥生くんが時雨にあげたんだわ」
「じゃあ、あれはお母さんの力なんですね?」
「……そうね」
「すごい……」
時雨の母親の力が時雨を助けた。これこそ親の愛ではなかろうか? そのすばらしさに感動する。
「でも、弥生くんがその場にいたから私の力をあの子に渡せたのよ。だから自分を責めないで、胸張っていいのよ」
「……ありがとうございます。でも……」
「時雨は必ず帰ってくるわ。だから待っていてあげて? 忘れないでいてあげることがあの子にとって一番嬉しいことだと思うな」
「……はい。それから……やっぱり引っ越しはするんですか……?」
「え? もうしないわ。だって引っ越ししちゃったらあの子、帰ってくること出来ないじゃない」
その言葉に思わず、ほっとする。
お辞儀をして時雨の母親と別れ、バスに乗って帰路につく。
そう――俺に出来ることと言えば時雨を忘れないで待つことだけだ。
いつ帰ってくるのかわからないけれど、俺はいつまでも待ち続ける。
それはもう決めたことなのだ――。
4
バスから降りると、もう沈みかけた太陽が空をオレンジと青のグラデーションで飾っていた。
ただなんとなく、という理由で公園に足を運ぶ。
何故だか知らないけれど、そこで何かが待っているような気がしたのだ。
夕方の公園はひっそりと静まりかえっていた。
ベンチにもブランコにもジャングルジムにも、人一人いない。
ため息をついて、後ろを振り返る。
「あ……」
思わず声が出た。
オレンジ色の長い髪が風で揺れている。
「どうしたの? 司くん」
「飛燕さん……!?」
「そうよ、ここにいたらおかしい?」
「そうじゃなくて……死んだと思っていたのに……なんで?」
「死んだ? 私が死ぬわけないじゃない! あのときはさすがにもうこれ以上戦って入られなかったから戦線離脱しただけよ」
「そんなぁ……ずるいや」
「何て嘘。私は実際あのとき死ぬかと思った。自分の体が消えていくときにこれが死なんだな……と思って受け入れようとしていた。でもね、その時に葵の声を
聞
いて、死んだらダメだってことを思い出したの。この命は自分だけの物じゃない……て」
「それで……?」
「意地でも生きてやろうと思ったわ。強く生きたいって望んだら、全身の細胞が目覚めだして私は生まれ変わった、シャドゥ・ブラッドに犯された身体が代わり
に死んで、その下に眠っていた本当の自分が姿を現したの」
「……?」
「よくわからないでしょ? 私もよくわからないの。でもね、私は生きている。それは確かよ」
「はぁ……」
頭で理解しようとすればするほどごちゃごちゃしてよくわからないが、飛燕さんは奇跡的に生き延びた。
「多分さ」
「なに? 司くん」
「飛燕さんはここで死ぬべき人じゃないから、誰かがチャンスをくれたんだよ。俺は無信仰だけど例えば神様とかね」
「なるほど……ね」
飛燕さんは笑顔を浮かべた。
それは、以前の飛燕さんからは想像も出来ないような笑顔だった。
「動くな!」
いきなり大きな声がして、俺達は一瞬凍り付いた。
公園の入り口には複数の魔法使い達が立っている。
「ルシファーの残党か……っ!?」
手に力を込める。
「ダメよ、司くん」
「なんで……!」
「キマイラよ」
「え……?」
魔法使い達は素早く飛燕さんを捕まえた。
飛燕さんは全く抵抗しようとはしない。
「まったく、やっと捕まえたぞ!」
ズルズルと連れて行かれる飛燕さん。
「待ってくれよ! 飛燕さんはもう改心したんだ……!」
しかし、キマイラは聞く耳を持たない。
「おいっ……! 頼むから……!」
すると、後ろから聞き慣れた声がした。
「仕方ないことだ」
「陽炎っ!」
そこにはいつからいたのか陽炎が立っていた。
「あいつらはお前の仲間だろ? 止めろよ!」
「いや、止めることは出来ない、仕方のないことなんだ」
「陽炎っ……!」
その時、飛燕さんの前に一人の偉そうな男が立った。
「まったく……コイツはかなりの問題児だな……、初仕事の途中でいきなり逃げ出すとは……」
「へ?」
飛燕さんは特にケガもなく、まるで先生に怒られた生徒のような顔をしている。
「陽炎……どういうこと?」
「ああ……まったく信じられないことだが……」
飛燕さんが走ってこっちにやってきた。
「あはは……怒られちゃった」
「……ったく、俺のパートナーなんだからちゃんとやってくれよ、全部俺の責任になってしまうんだから」
「あのー?」
「あ、言い忘れちゃったね司くん。私キマイラの一員になったんだ」
「えーっ!?」
「これからは正義のために悪い奴らをビシビシ捕まえてやる!」
飛燕さんは本当に叱られたのか怪しいほど元気がある。
「……よりにもよって俺のパートナーときた、今回が初仕事だというのにこの近辺に来るなり、会いたい人がいるなんて言いだして、仕事を放って抜け出したん
だ。おかげで俺は大変だったよ……飛燕を捕まえるほど大変なことはないからな……」
「は……」
頭痛がした。
なんだかあまりにもばかばかしくて笑う気力も起きない。
でも――あんなに生き生きしている飛燕さんは初めて見た。
5
そして一週間がたち、ようやく学校は夏休みを迎えた。
それと同時に、明日から修学旅行である。
午前中は講堂で校長先生の長い話を聞き、帰路へとついた。
みんみんとセミがあちこちで鳴いていて本格的に夏になったのだと思わせてくれる。
屋敷につき、重い門をギギィと開ける。
すると、屋敷の中からバタバタと使用人が出てくる。
司様は弥生家の当主なのですからご自分で門を開けなくても呼び鈴を押していただければ私が開けてさし上げるのに! と言われる。
部屋に戻り、テレビのスイッチを入れた。
ちょうどニュースの時間である。
いつもだったら、テレビをつけるだけでぼーっと眺めているだけの俺でも、この日は“その”ニュースに釘付けになった。
「魔法使いにも人権を……、魔法使い差別撤廃条約全世界で同時成立……?」
テレビでは、長いローブを着た魔法使いと見られる男が、偉そうな人と握手をしている。
そして、魔女狩りの禁止が言われた。
これからは魔法使いもそうでない人たちも、互いを認めていく必要がある。と大学の教授は解説した。
「時雨……?」
ふと、頭に時雨のことが浮かんだ。
「これが、時雨の望んだ世界なのか……?」
何故だか知らないけれど、目から涙がこぼれた。
「すごい……やってくれたんだな……時雨……」
悲しくもないのに、涙が次から次へとこぼれ落ちる。
「飛翔!」
俺はいてもたってもいられなくなり、理由も目的もないまま屋敷を飛び出した。
――どこへ行くのか?
そんなことわからない。
でも、この先に何かが待っているような気がするんだ。
商店街に降り立った。
買い物客でいっぱいの、夕暮れ時の商店街。
その人混みの中に、その顔を見た。
俺が進んでいるのか、相手が向かってきているのか、お互いの距離が近づいていく。
そして、彼女は言った。
「ただいま」
俺は、涙を拭き、出来る限りの笑顔をつくって返した。
おかえり、と。
新しい時代はこれから始まっていく。
〜トキノアメ〜 完
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