お背伸びウィッチ
「それでは行ってくるよ、イル。僕がいなくてもしっかりと魔法の勉強を
しておくんだよ」
魔法使いの青年は、ロングの金髪をさらさらと流しながら、白い歯を輝かせ、笑顔で言った。
「はい、お師匠サマ。お留守ばんはお任せ下さい」
彼の弟子である魔女のタマゴのイルは、後ろで二つに分けて結んだ黒髪を揺らしながら、幼い外見に比べ、落ち着いた口調で返す。
「頼んだよ」
師匠は、彼女の様子に安堵の表情を浮かべ、空飛ぶホウキを片手に出掛けていった。
バタン、と扉が閉まり、イルは歳相応の笑みを浮かべる。
「よぉーっし! お師匠サマもいなくなったことだし、いつもは禁止されていることだってやっちゃうぞー」
イルは地面に足がついているのか怪しいぐらいに弾んだ足取りで、師匠の部屋へ向かう。
彼女は師匠に対して弟子として、いや、異性としても強い憧れを抱いている。だから、こうして普段から熱心に師匠から魔法を教わりに来ている。
以前、イルは師匠に告白をしたことがある。気持ちは本気だったのだが、師匠には冗談だと思われたのか「君はまだ子供だからダメだよ」と笑顔で返されてし
まった。
そんなこともあり、イルは師匠の前では大人を振る舞うのだ。
「ちゃんと魔法の勉強をしなくちゃね。早くお師匠サマに認めてもらうんだ。あの悔しさは忘れない……」
師匠の部屋はきちんと整理整頓がなされ、空気は澄んでいて、清潔に保たれていた。
イルの目は本棚に向かう。そこには珍しい魔法の本がたくさん置いてあるからだ。普段は、この部屋の本を読むことは許されていなかった。
「よーし、読むぞー!」
イルは興味津々な表情で一冊を取り、中を開いた。
本には、見たことも聞いたこともないような魔法が載っている。見た限り、どれも高度で難しそうだ。
イルは一瞬眉をひそめるも、すぐに前向きな笑顔に戻る。
「師匠がいない間にここにある魔法を覚えちゃうんだ。そうしたら認めてもらえるかも!」
適当にさらに一冊取り、パラパラとページをめくる。しかし、どのページを見ても、内容が難しすぎた。別の本を見ても、頭の中で「理解不能」という四文字
が漂うだけの結果に終わってしまった。
「あぅ……やっぱり私はまだ子供なのかなぁ……」
しゅん、とススキのようにうなだれるイル。すると、不思議なものが彼女の目にとまった。本を取り出したために本棚の奥が見え、そこに「PUSH」と表面
に彫られた銀色のスイッチがついている。
「これって……隠しスイッチ?」
興奮を隠せないイルは、さっきの気持ちはどこへやら、魚を見つけたネコの顔でスイッチの側へ寄る。
「……押してみよっか」
えいっ、と言わんばかりの勢いで、白く細い指が壁に吸い込まれる。すると本棚が横にスライドしだし、イルは慌てて手を引っ込めた。
スライドした本棚の後ろには、奥の部屋へと続く隠し扉があった。
イルはさらに秘蔵の本があると思い、当然扉を開けようとした……が、びくともしない。そもそもノブが存在しないのだ。
「……魔法でロックされているみたい」
イルは、ロックを解除する魔法なんて知らない。だが、瞳に映ったのは扉に刻まれた文字であった。
“汝、この扉を開きたくば、大人を証明をせよ”
「大人を証明ー?」
イルは小首を傾げる。謎かけだろうか。彼女はこういうのは苦手だった。
「待って……逆に言えば証明出来たら、私は大人ってことよね」
やる気を沸かすイル。大人という文字に弱いのだ。
だが、果たして大人とはなんだろうか、といきなり壁に激突する。
落ち着いた人? 仕事をやっている人? じゃあ十五歳でデビューしたアイドルは大人と言えるだろうか? いや、言えない。
師匠みたいな人は間違い無く大人だ。それはわかる。では師匠にあって私に無い物は何だろう?
彼女にはわからなかった。悔しさから目がうるんできた。
「それはね、背伸びをしないことだよ」
突然の後ろからの声に、びくりと肩を震わせた。イルが恐る恐る振り返ると、入口には帰宅した師匠が立っていた。
「あ……お師匠サマ」
彼は怒っている様子でも無く、穏やかな笑顔を浮かべている。
「イル、君は君の年齢にあったことをするべきなんだ。無理に背伸びをすると、形だけの大人になってしまうよ」
そして師匠はイルの頭の上に優しく手を置く。
「だから、焦らずに、ゆっくりと大人の階段を上っておいで。僕は待っているから」
「お師匠サマぁ……」
イルの瞳から水晶のような涙が落ちた。それはつまり、師匠は彼女のことを――
その時、ピンポン、と軽やかな音と共に扉が開いた。
「あ、しまった。答えを言っちゃったから開いちゃったんだ!」
彼は何故か慌てる。イルは扉の奥に何があるのかと、後ろを振り向いて覗き込んだ。
師匠の制止も間に合わず、イルの目にそこにあるものが入る。
そこにあったのは、師匠秘蔵、大量のエッチな本だった。
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