或る一つのトワイライト


 彼が自我というものを得て、まず最初に認識したことは、自己の外にある「他」という存在だった。
 それは「世界」と呼ばれるものであり、それと比較した自己の小ささに、彼は驚きと悔しさと、そして妬みを覚えた。
 嫉妬の炎は彼の中で燻り、いつしかそれを彼は恥ずかしくて堪らないと思うようになった。
 彼は海へ行くことにした。海は生の根源であり、それは同時にあの世とこの世の境界であることを彼は識っていた。
 嫉妬という咎を得て、恥という泥で塗り固められたこの肉体を海へ浮かべ、この世から消し去ってしまおうと考えたのだ。

 彼は海を目指して歩き出した。
 道はわからなかったが、周囲の存在たちが一様に同じ方角を目指していたので、彼もそれに倣って歩くことにした。
 彼はそれらに、自分と似た何かを見出したのだ。
 夜が明けて、日が昇るころ、彼は海に着いた。

 海岸は、それらで埋め尽くされていた。
 各地から集まってきたのだろうそれらは、黒い海を前に立ち止まり、進むことができないでいた。
「みんな――」誰かが言った。「どうしてこんな所に来たのだろうか」
「決まっているだろう、恥ずかしいからだ」誰かが答えた。「世界はこうも大きいのに私は小さい。それを私は悔しいと思い、そう思ってしまった自分が、また さらに小さいものだと考えてしまった。あとはそれの堂々巡りだ。私は、この永遠に続く恥の連鎖を断ち切らなければならない」
 そうだ、そうだという声が、辺り一面に広がった。
 彼もまた、同意した。いや、同意などそもそも意味のないことだったのかもしれない。
 それよりも彼は、一刻も早くこの身を海へと浮かべたいと考えた。すると、周囲の存在たちは、次々に海の中へと入っていった。
 一面の海に全ての存在が浮かぶと、黄昏が迫り、彼は同時に沈んだ。

 次に彼が目を覚ますと、世界には多くの人があふれていた。
 それぞれが自分の生きる意味を求め、それぞれが自分の道の上を歩いていた。
 彼らは時に対立し、協調し、そして世界を動かしている。
 そう、問題は比較をすることではなく、自分と向き合うことだったのだ。
 嫉妬の炎は消えていた。その感情は必要なかった。
 
 そして、彼は彼の道を歩いていくことに決めた。


 fin.