PP
はじまりはね、そんな難しいことじゃないんだ。カセットをA面からB面へとぐるっと入れ替えるように、世界を逆さまにしてやればいい。そうしたら、今ま
での進むはこれからの戻るになって、今までの戻るはこれからの進むになる。つまりね、視点を変えれば逆行も前進になるんだよ。特に驚くべきことでもないだ
ろう? 世の中、そんなものだらけだってば。
そうだろう? PP。
◇ ◇ ◇
あーあー……マイクテスマイクテス。んーこれ入っている? あーあー本日は晴天なり、本日は晴天なりーっと。オーケー感度良好。ちなみに俺の電波も感度
良好っと。
あーこれから話すことは全部真実なんだけど、俺みたいな人間の口から飛び出す言葉って、“たまに”喉にかかっている嘘つきフィルターを通してくるから、
あまり信用しないで聞いてもらいたいな。なんて、嘘つきがこれは本当です、なんて言ったところで、みんなを混乱させるだけだよね。ごめんね、謝る気なんて
針穴サイズの大きさもないけどさ。
さて、どこから話せばいいんだろうね。ああそうそう、俺のことはジャスティスとでも呼んでくれよ。もちろん本名なわけないけどさ、この際本当の名前なん
てどうだって良いだろう? じゃあ始めるぜ。実は……言うの大分遅れちゃったけれど、この度結婚することになりました! お? 祝ってくれる? おめでと
う? ありがとう! でも実は嘘なんだ、一瞬でも信じちゃった人ごめんねー。いやいや、これぐらいのことで怒らないでくれよ、最初に言ったじゃん、嘘つき
フィルターを通しているってさ。でもね、結婚はまだだけど同棲生活している人がいるのは確かなんだ。名前はオードリーヘプバーン。当然偽名、いや、仮名?
俺天才だから、その辺の違いよくわからないけど、とにかく素晴らしい美女。マジマジ、たとえるならクレオパトラ。実物見たことないけど。
でさ、永遠に愛し合えるような二人になろうって決めてから付き合い始めた……いわゆる結婚前提のお付き合いだったわけで、そろそろ籍を入れようかなんて
真剣に話し合ってみたわけよ。んーまあ、そこまでは順調に話し合えたんだよ。でもさ、世の中にはどうもそれを邪魔しようとする敵がいるみたいなんだ。わか
るっしょ? 敵、エネミー、イコール悪者。それが、今さらになって急にしゃりしゃりと出てきたんだなこれが! おかげで邪魔はされまくるし、俺らにとって
は迷惑極まりない!
ぶっちゃけさ、別にお互い愛し合っているんだから、もうそれでいいじゃないかよ? きっと羨ましいとか妬ましいとかそんなところだと思うよ? 最初に邪
魔しにやってきたあの眼鏡の野郎なんて、きっとモテないんだろうなぁ、あまりにしつこく喚くんで、ちょっと怒鳴ってやったよ。少しは反省したのか、それ以
後うんともすんとも言ってこなくなったけどさ。ただ、それから敵も増えに増えまくって、もう落ち着いて生活していられないのなんの。俺ら可哀想だと思わな
い? 平穏無事な暮らしと未来を多少計算させてくれたって良いと思うんだけど、どうもそういうわけにもいかないみたいだ。今日だってそうだぜ? 朝から敵
に追いかけられっぱなし、まるで世界中が敵だらけになったみたいだ。ひょっとして、地球はエイリアンに侵略されちゃって、俺以外のやつらはどんどん洗脳さ
れていっちゃっているとか? あはは、いくらなんでもそれはないか。
おっと、そろそろタイムアップってところみたいだ。実は俺、結構マジでエイリアンの陰謀説を信じているんだぜ? だって、そうでもないと俺がこんな目に
遭わされるなんて、絶対おかしいじゃないか。こんな理不尽が許されて良いのか? 良いわけがないよな? おい、これを聞いている人でさ、ちょっとでも俺に
共感してくれる人がいたら返事してくれよ。な? 寂しいんだよ俺。彼女も敵に連れ去られてしまったし、今では独りぼっちなんだ。ああ、ヤベェ、ロスタイム
も使い切ったってところだな。マジ、寂しいんだよね、愛をくれよ、誰か俺に愛をくれよ――
ぱん。
◇ ◇ ◇
もう朝目が覚めてから、夜眠りにつくときまでずっとなのよ。満たされない、満たされない、満たされない、満たされない、満たされない……私の心の中はそ
んな言葉でいっぱい。滑稽ね、満たされないという言葉で満たされているなんて。
人間の欲望には限りがないなんてよく言うよね。私思うの、欲望があるからこそ人間たり得るんじゃないかって。つまりね、欲望をもたない人間は人間として
欠陥品ってこと。生まれたての赤ん坊だって、年老いた老婆だって、みんな欲望のかたまりよ。それを夢だとかそんな綺麗な言葉を着せ替え人形みたいに着せ
て、みんな誤魔化しているだけ。お人形さん本体は欲望のカラーで作られているから、そんなにお洒落をさせても隠し通すことなんてできないの。だから、私は
欲望のままに生きるわ。服も鞄も靴も宝石も美貌も男も愛もお金も全部全部全部欲しい。少しだって欠けていたら駄目、そんなことは許されないの。
……で、そんなことばかりを考えていると、満たされない思いばかりが膨らんで、結局最後はお酒に逃げることになる。当然よね、限界のない欲望なら満たさ
れることはない。それでも、私を私にしているのはこの欲望のおかげだから、欲を捨てることなんてできない。
そうしたらね、現れたのよ、目の前に全てを持っている男の人が! もうすっごいイケメンで、しかも話を聞く限りじゃ超お金持ち! まさに私にピッタリの
王子さまって思ったわ。相手を見つけたら落とすのは簡単。男なんてどこまでいったって単純な生き物だから、お酒をたくさん飲ませてあげて、気の利いた言葉
を一つ言ってあげればいい。実際、そうやってみたら、あっさりと成功したわ。彼ったら、前の彼女にもらったっていう指輪を大事そうに持っていたから、それ
をそっと指から抜き取って、目の前で飲み込んでやったの。
「これで貴方の愛は、全部私のものよ」
その一言が効いたみたいね。その後に彼が言ったのは、
「君を永遠に愛すよ」
だって! ちょっと苦しかったけれど、効果抜群! これで当分お金には困らないし、ねだれば好きなものを買ってもらえるわ! さあ、早く私を満たして、
私を貴方の色で染め上げて!
え、もうついたの? ここ? 嘘、何でこんな安っぽいアパートなの? 貴方お金持ちって言ったじゃない! どういうこと、説明してよ――
ぎり。
◇ ◇ ◇
最初は、生ゴミがたまっているんじゃないかって思った。この建物もずっと前から建っているわけで大分老朽化している。だから、隣の部屋の臭いが漂ってき
ても不思議ではなかった。
僕だってゴミの日に起きるのが面倒で、生ゴミを出し忘れたことがあったからなんとも言えないけれど、さすがにずっとこの臭いをかぎ続けるのは堪える。普
段は遊びまわっているとはいえ、僕だって一応学生なんだ。一年に数回ぐらいは勉強に専念しなければならないときだってある。あまりに強烈過ぎる臭いに、頭
痛まで始まってきた。これは生ゴミというレベルで済まされる臭いじゃない。何をやっているのかよくわからないけれど、これは苦情を言うべきだろう。
隣の人とは、何度か顔を合わせたことはある。見た感じ、穏やかそうな人だったし、いきなり怒鳴られることはないと思う。穏便に、あくまで穏便にことを済
ませればいい。
そう思って、ピンポンとチャイムを鳴らしてみた。しかし、返事はない。留守だろうか? もう一度ピンポン。がさ、とドア越しに中で音がした。やっぱり中
にいる。
「ごめんくださーい」
呼びかけてみる。無音。おかしい、居留守だろうか。もしかしたら、僕のことを集金や勧誘とか何かと間違えているのかもしれない。なるほど、それなら合点
がいく。こんなアパートに住んでいるぐらいだ、お金に困る時期があってもおかしくはない。
「ごめんくださーい隣の者ですー。ちょっとお尋ねしたいことがあってきましたーすみませんが開けてくださいー」
すると、中からがさがさ、と大きい音がした。む……やはり中にはいる。けど、やっぱり出てくる様子はない。依然異臭はしたままだ、ひょっとして、中で何
かあったのでは……そんな嫌な予感が脳裏をよぎる。これはちょっと中を確認した方がいいんじゃないだろうか。
そうして、ドアノブに手を伸ばし、そのまま横へと回してみた。鍵はかかっていなかったので、扉は簡単に開いた。瞬間、むわっと叩きつけられるような臭気
が部屋から漏れてきた。
「う……」
思わず鼻を押さえる。涙さえ出てくるような強烈な臭い。一体何が原因だ?
見れば、カーテンは閉めたままで電気もつけずに、昼間だというのに薄暗い部屋の真ん中に、男はいた。男の目の前には巨大な水槽……だろうか? 中身は確
認できなかったが、それに両手を突っ込んで、そこから何かを引き上げようとしている。ざば、と音を立てて、水槽からそれが引き上げられる。
「――!」
はじめは人形かと思った。あまりに白く透き通ったその身体には、生気というものがまったく感じられなかったからだ。でも……でも、男が両手で大事そうに
抱きかかえているそれは……にん……
「マリー、愛している」
男が、ユリのように白いそれの頬を指先でなぞり、唇にキスを一回する。王子が眠れるお姫様を起こすように、優しく。しかし、お姫様は目覚めない……当た
り前だ……だって……だって……!
「君は君が望むままに永遠に美しいままで俺の愛を受けられる。光栄だろう、マリー?」
そうして、男は蝋燭を片手に掲げた。小さく赤いその灯りは、それの顔を照らし出す。ああ、間違いない、あんな人形があるものか! どこまでも白いその柔
らかそうな肌の肉感も、決め細やかで流れるような髪も、遠くから見ている僕だってわかる! それは紛れもない人間で、だけど人間と違うことはそれが単なる
物体に他ならないということ! 男は何かの儀式であるかのように蝋燭を持っていたが違う……その蝋燭を傾けると、蝋を彼女の瞳に一滴……!
「うわ、うわあああああっ!」
堤防が決壊するかのように、悲鳴が喉からあふれ出した。もう我慢なんてできなかった、喉が炎症を起こすんじゃないかってぐらい、声が吐き出される! 当
然それに気づいて、男がこっちに……来る! 逃げなきゃ、逃げなきゃ、逃げなきゃ! でも膝が笑っていて、腰も抜けちゃって一歩も動くことができない。男
は以前僕が見たことがあるとおりの、穏やかな隣人としての笑顔を仮面のように顔面に貼り付けて迫ってくる!
「愛し合う二人の邪魔をするなんて、あまり良い趣味ではないと思いますけど?」
「ひっ!」
男の両腕が伸びてくる。その腕はひどい炎症を起こしていて鮮血に染まっており、僕に触れる直前にべろんと皮がむけて……ああ、許して、許して、許してく
ださ――
ばたん。
◇ ◇ ◇
「えーっと、頭の良い子だったと思うわ。人あたりもよくって、近所をペットの犬といつも駆け回っていたかしら」
「いつも笑顔の少年だったよ。ご両親の仲はあまりよくなかったって聞いているけど」
「成績はいつも一番でした。クラスの代表もやっていましたし、話すのも上手かったと思います」
「ちょっと雰囲気が違う人だなって思いました。なんだろう……いつも一つ上の段にいるって感じかな?」
「先月までは、真面目に働いてくれていたよ。ただ、今月から急に無断欠勤するようになってね……まさかこんなことになったなんて」
◇ ◇ ◇
この仕事を続けていると、やりきれない思いにかられることが何度もある。相手が子供や老人だったりするときもあれば、とても悲しい結末が待っていること
もある、そして何よりも、相手がかつての親友だってこともある。
先ほど、上官に聞かされた相手の名前は……そう、青春時代をともにした親友の名前だった。同姓同名かと思ったけれど、顔写真を見たらそんなかすかな希望
も吹っ飛んだ。
「何でお前が……」
ため息ぐらいつきたくなる。だが、だからといって何かが変わるわけでもない。もうこれはすでに起こったこと、ならば俺は俺の仕事をしなければならない。
お前と出会えたおかげで、俺の人生は大きく変わった。俺は根暗な性格だったこともあって友達なんて一人もいなかった。自分が思っていることは相手に伝わ
らず、いつも除け者にされていた。正直、最初はお前に嫉妬していたんだよ。頭も良い、話術もある、人気もあってクラスの中心人物、そんなお前にいつもムカ
ついてばかりいた。でも、お前はそんなことお構いなしで俺に話しかけてくれたよな。お前の話を聞いていると、実に自分が矮小な人間なのかって思い知らされ
たよ。お前は覚えているだろうか。俺が愚痴をこぼしたときがあっただろう、何もかも上手くいかないことばかりで、半ば自暴自棄になっていたとき、お前は
言ったんだ。
「お前の世界はお前のものだろう」
そうだ、その言葉が今でも胸に響いている。おかげで、俺はこうして小さい頃からの夢だった警察官になることができた。何が正しくて何が正しくないかなん
てわからない、むしろ考えること自体意味がない。だから俺は俺が正しいと思うことをやり続ける、それが全てだと気付いたんだ。
現場にパトカーをつける。一帯は野次馬と報道関係者ばかりで、騒がしい。内心で舌打ちしつつ、俺は車外に出るとその建物を見上げる。ほんの一瞬、ノスタ
ルジックな想いにかられた。
「実は……言うの大分遅れちゃったけれど、この度結婚することになりました!」
スピーカーから、懐かしいあの声が聞こえてくる。そうか、結婚することになったのか、おめでとう、祝福してやるよ。
そうして建物内へ一歩。警戒する必要なんてどこにもない、どうやらお前は俺をご指名みたいだからな。建物の構造は十数年経った今でも覚えている。放送室
は……こっちだ。
「俺がこんな目に遭わされるなんて、絶対おかしいじゃないか。こんな理不尽が許されて良いのか? 良いわけがないよな?」
お前にしてみればそうだろうさ、俺はわかっていたんだぜ? お前が自分のことしか考えていない究極のエゴイストだってこと。口が上手いから他人を騙すこ
となんて簡単にできた。ずば抜けて頭が良かったから人気者にだってなれた。そうだ、お前はいつだって考えていたはずだ。お前が俺に言ったように、世界は自
分を中心に回っているってことをさ。
そうだろう? サイコパス。
「愛をくれよ、誰か俺に愛をくれよ――」
「これが、愛だよ」
銃弾を一発、お前に捧げる。
fin
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