睦月朔日

「よお、如月じゃないか?」
 ふいに、往来で名前を呼ばれたので、声の方向を見た。目線の先には中学時代に親しかった友人である藤原がいた。かつてのあだ名はフジさんだ。
「フジさん? うわあ懐かしいな。元気してる?」
 卒業以来顔をあわせることの無かった友人との出会いに、語彙力が貧困で申し訳ないが、テンションがあがる。
「まあまあだよ、如月は?」
「うん……いや、あまり元気じゃない。何せ受験が近いからな」
「……なるほど、それもそうだ」
 そう、僕らは受験生だ。一月は決戦の月である。元気でいられる余裕は僕には無い。せめて元気にしてくれる薬があればいいのだが。
「やっぱり元気がないときは彼女と過ごすのが一番だよな、如月。二人で支え合えば受験も楽勝だろうしな」
「う……」
 ズバリ、悪意はないのだろうが痛いところを突かれた。片想いをした経験は数あれど、女性と付き合ったことなど一度もない僕は、ロンリー・キサラギとして 学校のクラスに名をつらねている一人だ。
「どうした?」
「あ……いや、僕……」
「あ、もしかして彼女、いなかった?」
「うん……フジさんは?」
「俺か? 俺はもちろんいるさ。さっきまで一緒だったし。今は彼女が友達と一緒に行動しているから俺は別行動中、もうすぐここで待ち合わせしているんだ」
 幸せそうに語るフジさんを前に、怒りなのか嫉妬なのか悔しさなのか、よくわからない感情が浮かんできた。同時に自分が惨めになってくる。
「そうだ、じゃあ紹介してやるよ。俺の彼女の友達、ボーイフレンドが欲しいらしいし」
「え、いや、いいよ、そんなの」
「いやいや、結構いい娘だぜ? 容貌だけでなく、おとしやかで頭も良く、なにより優しい。さらにお金持ちの家のお嬢さんだ」
 急にフジさんが光り輝く大天使ミカエル様のように見えてきた。
「僕が……釣り合うかな」
「まあまあ、とにかく会ってみろよ。如月は格好いいし、頭良いから気に入ってもらえると思うぞ」
「ふっ、そうかな」
「何故そこで声が低くなる……と多香! ここだよ!」
 タカ、と呼ばれたフジさんの彼女らしい短い髪の女の子は、その声に反応し、さわやかな笑顔を浮かべてこっちにやって来た。
「この娘が俺の彼女の多香子。それから……」
 その横には髪の長い女の子が一緒だ。
「……」
 その姿を見た瞬間、絶句した。
「誰ですか、この方は?」
「俺の中学時代の友達の如月だよ。すんげー頭良いんだぜ」
「……あ、フジさん。これが……?」
「そう、名門茄子美家(なすびけ)の茄子美茄子(なすびなこ)さんだ」
 いや、名前もおかしいが、なによりも姿がおかしい。彼女、いや目の前にいる人は紫色でムーミンのような形の顔をしていた。髪は何故かどっかの芸能人みた く緑色をしている。どう見ても人間ではない、ナスだ。
「如月さんですか……よろしくお願いします」
 一歩前に進んでくるナス。思わず半歩下がる。好き嫌いがほとんど無い僕でも、ナスだけは苦手だ。小さい頃、キャンプの夕飯のオカズが焼きナスまるまる一 本だけで泣きそうになったことがあるのだ。
 いや、そんなことはさし置いても、不気味なことこの上ない。
「よ……よろしく……じゃなくて僕用事を思い出し――」
「なあ多香、なんか雰囲気的にお似合いじゃないか?」
「そうね、ぴったり。如月クンだっけ? 茄子ちゃんをどう思う?」
「い、いや、どうと言われても……な、ナスです……」
「きゃっ」
 何故か顔を赤らめるナス。何だ、何が起きた!
「如月、お前いきなり言うねえ」
「何が!?」
「嬉しいです……そう言ってくれるなんて」
「いや、だから何で!? おかしいでしょ!」
 すると、再び前に出てくるナス。紫色の手を伸ばし、僕の両手がぎゅむ、と握られた。なんだかじっとりとしている……!
「私のことをナスと認めていただいてありがとうございます。我が茄子美家では一人前のナスと認めてくれた人を運命の人とするしきたりがあります。どうか末 永くよろしく――」
「嫌だ! あれは間違いだ! 失言だった! 訂正! もとい!」
「いえ、さっきの如月さんの瞳、真剣でした」
 目の前のナスの顔(?)は紅潮しまくっている。しかも彼女の手に掴まれて離れられない!
「偽りは決して無いと判断致しました。未来永劫、どうか離れぬように……」
「ひ……」
 そのままずるずると引きずられていく僕。何故か力が強い……!
「よかったね、お幸せに。まるでラブラブ飛行船ね」
「何それ! ちょ……フジさんー! 助けてー! 彼女のどこがおとしやかなんだ! 引っ張らないでー! 嫌だあぁぁぁぁぁぁ!」
「いやー、紹介した甲斐があったよ。もうオンリーロンリーグローリーだな!」
「わけわからないよー!」
「毎朝味噌汁を作りますね。もちろんナスのですよ」
「ぎゃー! ナスは無理ー!」
「夕飯は焼きナスか麻婆茄子です」
「もっと嫌だあぁぁぁぁぁぁ……」
 そして僕は闇の中へ連れられ……

 がばっ!

「あら、冬休みなのに早起きね。どうしたの?」
「母さん、夢を見たよ」
「ん? 初夢はどんなだった?」
「フジさんとタカとナスが出てきた」
「あら、縁起いいじゃない。一富士二鷹三ナスビって」
「いや、アレは……」
 思わず夢の内容がフラッシュバックしてしまう。嫌な気分になり、忘れようと首をぶんぶんと振る。
「そういえば、母さん、朝食は?」
「ん? 今、ナスのお味噌汁を作っているから少し待っていてね」
「ぎゃー!?」

 完