2011年 3月
徒然日記

3月 新生活仙台の日記

 3月 6日 (日)

 東京を出発して、仙台まで約2時間弱の旅。
 やってきました仙台。

 仙台に来るのは約3年ぶり
 あの時は旅行で初めて仙台に行ったのだけれども、一気に仙台という街が好きになった。

 そして、伊坂幸太郎の作品に想いを寄せながら、仙台いいよね仙台ウフフとか言っていたら、仙台で務めることになりました。

 随分仙台という単語を使っている気がする。このままだと仙台がゲシュタルト崩壊するで仙台。

 それはともかくとして、新居となるマンションへと無事入居。同じく出向族となった同期とも出会って、荷物を片付けて、足りないものを買い足してようやく自分のお城が完成。
 本棚がないため、本はまだダンボールの中だけれども。
 早く出したいなぁ。

 あと、新居にはテレビがありません。
 さらには据え置きゲーム機もwiiしか持ってきていません。でもまあ、PSPで楽しむんだけどね。

 洋室7.3帖にダイニング3帖の、合計10帖の空間が広すぎます。一人で暮らすのにこんなにいらぬ。
 そんな贅沢な悩みも含め、綺麗だし静かでいいところだしスーパーも近くにあるし仙台駅からも近いしお寺にも囲まれているしで、立地としては最高。
 本当にありがたいことですじゃ。東京ではこんなマンションには住めぬ。

 明日からは本当の本当にお仕事が始まるのです。
 どうなるか、不安で不安でたまらないところはあるけれども、がむしゃらに全力で体当たりしてみようかな。
 挨拶しまくるぞー。


 3月 7日 (月)

 会社まで徒歩で通えるありがたさ、プライスレス……なのか?
 とにもかくにも、新しい職場環境での生活がスタート。皆様ちやほやと可愛がってくれます、ありがたいことです。

 お仕事は、内容はともかく、一緒に働く人の顔と名前を一致させなければならぬ。
 そうして徐々に色々なことを覚えていくことが出来れば……出来れば……うん、いいのかなー?
 一日目としてはいいスタートなんじゃないでしょうかね?

 仕事が終わった後は、ヨドバシカメラへ行ってお買い物。
 テレビが欲しいのだけれども、さすがに即決はねーだろ、とりあえず冷やかすか、と様子見に行ってみたら、SONYのBLAVIA32型Vで少し型が古いタイプのが50000円で売っていたり。
 ヨドバシカメラさん本気ですか、と訊いてみたら、「人気商品のため、本日までお安くしております」とのこと。確かに値札は3/7までこの値段とな。
 よし買おう、とまさかの即決。

 こうしてテレビが我が家に来ることに。
 着々と生活環境が整っていきますなー。
 たーのーしーみー。


 3月 8日 (火)

 朝起きたら、おもいっきり首を痛めた浅葱つくみです。
 慌てて時計を確認したのが痛かった。

 お仕事二日目ということで、名前は徐々に覚えつつ、お仕事にも触れることに。
 とはいえ、新人にやらせる仕事がまだ存在しないのか、とりあえずこれ組み立てておいてーと、デスクトップPCの箱を渡されたり。
 最初の仕事が「得意そうだから」という理由でパソコンの組み立てになりました。

 多くのお世話になった人にお礼のメールを出したり、パソコン組み立てたり、はんこを押し続けたり……そんな感じでのんびりと終わる一日でした。
 他の同期たちは何をしているのか、それが気にかかるのです。

 会社が終わったら、仙台に出てテレビラックを買おう、と、ヨドバシカメラへ向かってみたところ、ショッキングな光景が。
 昨日買ったテレビが、44000円に値下がりしてた。3/14までの期間限定で。
 やられたっ……やられたっ……! 一日待てば安く買えるだなんて、そんな、ひでえ。
 今まさに売れ筋なんでしょうかね。悔しい、悔しいよ!

 でもまあ、ちゃんと昨日買ったからこそ届いてよかった。
 「もう届くよー」という電話のおかげで、買い物とか全然出来なかったんだけどな!
 外食も何なので自炊。

 チキンライス(醤油味)を制作。
 浅葱つくみの料理は、錬金術と紙一重(錬金術に申し訳ない)レベルだけれども、今回は美味しくできた。
 どんどん上手くなれたらな。


 3月 9日 (水)

 宮城県で少し大きな地震がありました。
 たいしたことはなかったのだけれども、それでも車に乗っていながら感じるほどの揺れで、ちょっと驚きました。
 夜になれば雪がガンガン降ったりして、大自然の力ってすげーとそんなことを思っていた今日。

 そんな雪の中、無印良品でハンガーラックを買って、えんやこらと持ち帰ったのはここだけの話。

 今日はラジオで何度もレミオロメンの「3月9日」を聴きました。
 結構前の曲だよね? そんなことなかったのかな。もはや定番になりつつありますな。

 RADWIMPSのアルバム「絶体絶命」を買いました。
 まだほとんど聴いていないのだけれども、まずはジャケットがひと味違うという印象。
 「DADA」「狭心症」がとんでもない境地を走り始めてしまったRADだけれども、その言語を叩きつけるような歌詞がジャケットになるとこうなるのかーと素直に感動。
 透明なCDケースに、透明なフィルムに歌詞が描かれていて、それが重ねられると言葉が大量に溢れているように見えるという仕組み。
 ちょっと上手く伝えられないのだけれども、実際に手に取ってみて欲しいと思う。
 あ、初回版だけみたいですよ。

 今日はなんちゃってタコライスを錬成。
 目玉焼きも作れない程度の料理スキルだけれども、それでも美味しく出来た気がする。
 人にお出しできるような出来栄えではないけれど、腹が減っていればなんでも美味しい気がする。
 やっぱり上手くなれたらな。


 3月 11日 (金) 〜 3月 12日 (土)

 非常に大きな地震がありました。
 東北太平洋沖地震だっけ? 命名されるほどの大地震に巻き込まれることになるとは思ってもいませんでした。
 宮城に着任して早々こんなことになるとは。

 現段階(3月12日)では、大体地震から丸一日経って、電気が開通したところです。
 とはいえ、まだまだライフラインが不安定なため、安心もできないようですが。


 地震のとき、僕は先輩と一緒に仙台のあるお客様の会社にいました。
 ちょうど商談というか書類を届けるということで、席についていてくださいーと言われて、はいーと座っていたら、地震が発生しました。
 先輩のケータイが、地震速報でぴーぴー鳴るのだけれども、もう揺れていて何も出来ないし、ただいつ収まるのかなーとか思っていたけど収まる気配もない。
 ただ、複合機が動いたりコーヒーメーカーが倒れたりしだして、もう座っているのも危険な気がしたので、とりあえず机の下に潜って、ひたすら頭だけ隠す、と。それしか考えられなかったわけです。

 本当に長い揺れでした。
 一分近く揺れていたのかな? とにかく体感時間はそれぐらい。揺れている最中に聞こえてくるのは悲鳴と怒号のみ。
 僕はといえば、机においてあった花瓶が落ちたらヤバイと思って、机の下から右手だけ出して上に乗っている花瓶を押さえ続けていました。
 後から聞いた話によると、それは非常に危険だったらしいです。挟まれたりとか落ちてきたりとかで、腕切断とか笑えない。

 それはともかく、揺れが収まって顔を出してみると、オフィスは見るも無残。
 机は飛んでいるしロッカー倒れているし書類散乱しているし、よくわからんけど水が漏れているし。
 先輩が「では、改めてまた来ます」と言って、部屋を退室。もうね、その落ち着きっぷりが素敵。
 僕? 近くの泣いている女性社員に「大丈夫ですよ」と声をかける程度のジェントルマンぶりを発揮していればよかったんですけどね。
 「参りましたねー」と笑っていることしか出来ませんでした。

 さて、そのオフィスから外に出るわけですが、その階段も大変。
 壁は亀裂が入りまくっていて、床は破片と水とで滑るし、余震がきたら死ぬかも、という感じ。
 早く外に出たくてたまらなかった。そこで走ったりすると、パニックになるんですな。こういうときは落ち着くべき。

 震度5ぐらいかしらん? 結構揺れたなーと思って外に出てみれば、その地震がいかにすごかったのか物語る、壁の崩壊。
 ビル8階の壁が崩れて、丸々歩道に落下しているという、当たったら間違い無く死ぬだろコース。
 信号は全部消えているし、バス停の屋根を支える柱は崩れているし、やっぱりこれは死ぬだろコース。

 そんな中、着任したばかりの僕が出来るのは先輩の後ろにくっついていくことぐらいで、その先輩はというと「会社に戻るぞ」と車を出す準備。
 マジカッコイイ、カッコイイけどその車乗りたくねぇ。

 「こういうときはなるようになるから」
 先輩カッコイイ、カッコイイよ。
 そして、信号のない道を走って会社へ。

 本当は多賀城市というところに行く予定だったのですが、先輩曰く「多賀城市に行っていたら危なかった」とのこと。
 「そうですかー」となんとなしに返事してみたのですが、多賀城市、行っていたら本当に死んでいたかもしれません。そう思うと、ぞっとする。

 「すみません、多賀城に書類届けられませんでした」「そんな書類燃やしちまえ」という、先輩と上司の掛け合いを聞きつつ会社に到着すると、オフィスはまたどえらいことに。
 やっぱりパソコンもロッカーも吹っ飛んでいました。半端ねぇ。
 防災バッグを持って避難場所へと行ってみれば、その途中で大雪。先輩と二人、笑うことしか出来ない。


 さて、自由解散となりまして、同期と二人マンションに戻ってみたらこれまたひどいことに。
 「うぇwwwどうやってこの机ここからこっちまで動いたのwww」と呟きたくなる状態。でも、超奇跡的に食器は全部無事。ガラス類全部無事。
 近くのスーパーで、水とパンを購入し、水道も動いているからなんとか電気もすぐ復旧するだろう、とタカをくくっていたら、電気は復旧の目処立たず。
 近所のコンビニは品切れ(菓子パンとおにぎりしか売ってくれなかった)。水も、マンションのタンクのが底を尽きる。
 そのときになって、初めて地震の過酷さを知ったよ。これが被災者か。

 同期と二人で、出来る限りの防寒対策をして、布団で睡眠。
 妙な夢をたくさん見ながら、余震に耐えつつ眠りに落ちたのです。

 外から入ってくる情報は殆どなし。
 ただ、Twitterとたまに送られてくるメールによって知るばかり。
 東京もヤバイとか、津波が来るとか、そんなメールが沢山飛び込んできました。
 ちなみに、僕の住むところは、津波の心配は一切無いところでした。それだけが救いといったところか。


 12日の朝、会社に向かうと地下の倉庫より非常用の食料や水を運び出す作業の真っ最中。
 というわけでそれのお手伝い。肩も腰も足もバキバキになりながら、物資のリレー。
 電気も通じなければ水も出ないという絶望的状況で、余震もグラグラくる中の作業は、ホント過酷。
 でも、そこで初めて新聞を見て、津波の恐ろしさを知る。生きててよかったってことと、津波で一体どれだけの命が失われたのか、それがほんの目と鼻の先で起こっていることを思うと胸が痛む。
 でも、胸を痛めていても始まらないし、出来ることといえば物資を運ぶこと。出来ることを、一つ一つやっていくしかないねん。

 昼過ぎから夕方は、食料探しに向かいました。
 コンビニでは長蛇の列だけれども、それでも買わないとやってらんない。水も食料も電気もないんだし。
 コンビニは混乱を防ぐためか、メモに欲しい物を書いて入り口で渡すと店員さんが持ってきてくれる方式。
 そうして袋に詰められた1500円分の水分と食料に、本当に心から喜べる。食事のありがたさを知る。あたりめ、最高。

 夜になる前に、電気と水道が復旧。
 先が見えないため不安だけれども、それでも電気がついたためポットでお湯を沸かせる幸福。
 電気のありがたみを噛み締めながら、こうして日記を書いています。ありがたいことです。

 夜には同期が、じゃがりこやポテチ、そしてカップラーメンを買ってきてくれました。
 こんな状況になってしまったけれども、ミニカップヌードルで仙台着任お疲れ様の乾杯。頑張っていこうと思いました。


 3月 13日 (日)

 電気がついたということで、テレビを観ることが出来るようになりました。
 そうして地震の被害が大変なことになっていることを知りました。
 東北関東大震災もしくは東日本大震災なんて名前がついています。
 宮城は大変だけれども、東日本全体、もしくは日本全体がとんでもないことになっているということを実感。東京の人たちは帰れなくなっていたというし。
 歩いて帰ることが出来た分、僕らは幸せだと思う。

 でも、今日は体が動かなくて午前中はだらだら。
 午後は会社に顔を出して、オフィスの整理整頓。復旧の目処は立たず。それでも明日からは動き出さないといけないからね。

 夜になったら、同期がかんぴょう巻きを発見してきてくれました。
 ホント、どこで見つけてくるんだろう。ご飯、美味しいです。

 夜になるにつれて、どっと疲れが出てきました。
 思えば、3月から合同研修が始まって、ストレス耐性をつけるだかなんだか知らないけれども全力を振り絞るようなことをさせられて、それと並行して引越しの作業をして、慣れない新天地で慣れない一人暮らしを初めて、出会う人は全員初対面……全然休んでいなかったんだよね。
 心的ストレスは3日で出てくるらしい。
 震災発生直後はアドレナリンの力か元気でいられたのだけれども……ちと疲れがなぁ。

 こりゃあかん、と暖かいスープを作って体を温めるのだけれども、ちょっと参った。
 でも、Twitterやmixiでみんなが励ましてくれるのが本当に嬉しい。
 苦しいのは僕だけじゃないのだ。日本列島全体で助け合わないと。

 3日以内にマグニチュード7以上の地震が発生する確率70%以上。
 やれやれ。


 3月 14日 (月) 〜 3月 15日 (火)

 会社が始まったのだけれども……そりゃもう、始まっているといっても普段どおりのことなんてない。
 壊れた備品はとりあえず置いておいて、災害対策本部なんてものも作られて、全然違った様子での業務が始まりました。

 とはいえ、業務なんてやっている場合ではなく、そもそも出向となってから一週間しか経っていない僕にとっては何をやったらいいのかわからない。

 だけれども何かできることはないのか、となれば、自分の会社のパートさんたちの安否を確認すること。
 リスト化されたパートさんの連絡先を確認して、一人ひとりに電話をかけていくという地道ながら、しかし大切な仕事。
 ほとんどの人は顔も名前も知らないのだけれども、一度だけ出会った人たちの名前も並んでいて、そういう人たちが「気仙沼」だとか「石巻」だという場所に住んでいるというのを見るたびに、不安になる。

 かたっぱしから電話をかけていけば、ほとんどつながらないわけで、しかもそのつながらない理由が、電話の故障なのか回線が混んでいるからなのかわからない。
 ケータイ電話なんて充電が切れている場合がほとんどで、多賀城とか名取とかの場合、当然固定電話なんてないわけで……一体どうなっているのだろう。

 新潟の地震のときも阪神淡路大震災のときも、自分が経験していないから、テレビの向こうのヒトゴトだったのだけれども、多賀城なんてちょっと行ったら着いてしまうお隣。
 そんなところで津波が発生していたのだ。もうヒトゴトとか言っていられなくて、リアルがそこにあったりする。
 そこに住んでいる人に電話をかけて、そしてつながらないという、なんともいえない不安。

 それでも、懸命に電話をかければ何人かは繋がるわけで、そのときの嬉しさといったらなんとも言えない。
 そして何人かで力を合わせた結果、安否確認も取れてきました。それがたまらなく嬉しいのだ。

 でも、まだまだ安否を確認できない人が何人かいます。
 見つかってほしい。とにかくそれだけを願うばかりです。
 こういうときこそ、前向きに生きたいものです。


 これを書いているときに、震度6強の地震が静岡で発生しました。
 静岡……? どーゆーことよ。
 とかいってたら、こっちも揺れてる。
 「あ、来る」ってのが、だんだん分かってきた。慣れてきた。やれやれだ。


 3月 18日 (金)

 東京の会社より、救援物資がどんどん届いております。
 それが10トントラックに乗ってやってきます。

 それを、ひたすら手で積み降ろす作業をやりました。
 二日間連続で。

 半端ねぇ、マジ半端ねぇ。

 腕は腫れ上がって、手足はガタガタ。
 もう無理。
 というわけで寝る。寝ます。

 でも、明日からも仕事なんだぜ……疲れたよ。 
3月 5日 (土) 巫女の日

 3月5日は巫(3)女(5)の日だそうですよ。
 でも、今の僕にどってはどちらかというと、ミ=ゴの日ですね。
 脳髄持っていかれるー。


 さて、そんなどうでもいい話はどうでもいいとして、どうでも良くない話を。


 もうすぐ入社して1年が経ちます。
 ちょっと特殊なシステムで、様々な現場で研修を続けていたのですが、この春晴れて仮配属ではあるもののほとんど正式配属と変わらない形で配属が決まるようです。
 その配属先が……


 仙台です。


 生まれてこのかた東京をほとんど出たことがない身なのだけれども、グループ会社に出向となりました。
 Twitterでもつぶやいていたから、全然新しい情報ではないのだけれども。

 そんなわけで、それを知ってからは大慌て。
 部屋をひっくり返すようにして本とかその他諸々を処分したり、引越しの準備をしたり。
 特に一人暮らし初めてだから、家具とか家電とかも揃えないといけなくて、それなのに住居が決まらなかったりで、ようやく今日落ち着きました。

 本、何冊手放したんだろ?
 100冊以上? うーん。
 カードとか、豪快にゴミにしてみました。あれ、売ればいくらかのお金になったのかな。

 でも、おかげで荷物も持って行ってもらったし、あとは明日仙台に出発するだけですな。

 音楽プレイヤーに、異動用BGMを入れて。


 新居でのネット環境が来週まで整わないようなので、しばらく更新ができませんが、それはいつものことなので平気かな。

 そんなことよりも、初めての一人暮らしであると同時に東京を離れるのがちと寂しい。
 仙台なんて新幹線でぴゅーっと行けるからいいけれども、やっぱり違うよね。

 寂しいという気持ちは大きいけれども、楽しみという気持ちも同時に多いのです。
 サラリーマンというものがどういうものなのかよくわからないし、まだ仕事だって本格的に始まっていないけれども、それでもチャンスを与えてもらった、ということに違いないのかな、なんて思います。
 あとは、何事も経験なのかな、と。

 地方は最前線と聞きます。
 それゆえに厳しいこともあるのかもしれないし、それに対する不安っていうのは大いにあるし、なにかやり遂げたという自信もないのだけれど、ちっぽけな創造力とそれなりのやる気と未知数の根気を携えて行ってきます。


 ……とはいえ、このサイトが変わることも特にはありませぬ。
 生活環境が落ち着けば、また更新するつもりだしね。

 小説も書いていくよ。
 2月は書けなかったけれども、必ず。


 <拍手レス>

 >>>故に楽だが、故に社蓄。
 >>社の蓄えだから社蓄か。いいなー。

 資源の一つですからな。
 どう使われようが、それは会社次第ということで。

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